The postmodern has come.

著者について

私の名前について

ジッタと名乗っていますが、本サイトの内容を見れば私のことを知っている人には私が誰だかわかるようになっています。殊更に匿名にこだわっているわけではありませんが、実名を記載しないのは私について実名以外のことを知らない人が、本サイトを通じて私のことを知ると、社会生活上何かと支障がありそうだからです。

そのため、私が誰かわかる方も、私の実名についてはこのサイトと紐づく形で公開しないでいただけると大変に助かります。つまり、私の実名でウェブ検索を行っても、結果にこのサイトが表示されないようにしたいということです。

経歴

1984年愛媛県新居浜市に生まれる
2000年創価高等学校(東京)入学(33期・寮生)
2003年同校卒業
2005年2浪の末、早稲田大学国際教養学部入学
2009年米国 Earlham College TSAプログラム 留学
2011年2留の末、早稲田大学国際教養学部卒業
2012年英国 Bradford University 大学院 社会科学研究科 平和学修士課程 入学
2013年同修士課程 修了
香川県高松市へ移住
参議院議員山本博司(公明党) 公設第二秘書 奉職
2017年創価学会の要請により、同議員より辞職勧告。同職を退職。
京都市へ移住。現在に至る。

創価3世として生まれる

創価学会の3世として生まれました。私の家系で初めに入信したのは母方の祖母です。母は私が生まれるまで信仰活動は行っていませんでしたが、父が職場で不倫を繰り返したことに悩み、信仰に救いを求めたようです。父はおそらく立場上弱みがあるために母の折伏(勧誘)を断り切れず入会したのだと思います。とはいえ彼もそれなりにまじめに創価学会の活動に従事していました。私が中学生になるころには、父方の祖母まで入会している状況でした。創価学会の3世信者として生まれ育ったことは、陰に陽に私の人生にスティグマを刻んでいくことになります。


私自身は発達障害傾向のある子供で、たとえば幼稚園に入っても帰り支度を時間通りにできず、通園バスに乗り遅れることがしょっちゅうありました。体をうまく動かせないためスポーツも苦手でした。その割に、出生時体重が3,900gあり、ほかの子供より二回りほど体が大きく、発達障害由来の振る舞いの不自然さと相まって、クラスでも異様な印象を与えるために、溶け込めない存在でした。幼稚園では、遊びの仲間に入れてもらえなかったり、昼食の班編成でつまはじきにされていたりしていた思い出があります。

ただ私は言語能力は幼少期より高く、友達がいない代わりにずっと一人で本を読んでいる子供でした。そして、自分が所属するコミュニティに、あるはずの居場所がないことは、自己と世界の関係性について、私の思考を誘導することになりました。人間は、当然のものとしてあるものには疑問を抱かないものです。しかし、私にとって私と世界は、いつも違和感を伴ってそこに存在していました。

実存を保障する根としての社会、人間としてのルーツを辿るための歴史、宇宙の仕組みを解き明かす自然科学、それらは一体何で、どうして存在するのか。その問いに答える営みとしての思想哲学宗教、私の興味は幼少期よりそうした対象に向けられていました。


創価学会の信仰は、幼少期の私にとってはむしろそうした人生の苦しみに解答を与えるものでした。小学校に入ると私は「いじられ」の対象となり、毎朝の登校班やクラスにおいても馬鹿にしてからかってよい「キャラ」として扱われていました。当時の「いじられ」は、ニュースで報道されるようないわゆる「いじめ」にエスカレートすることはありませんでしたが、私にとっては苦痛で、毎朝登校中に嘔吐していました。悔しさに涙ぐみながら帰宅することも日常茶飯事でした。

そんな私に母が与えた言葉が、「あなたは仏子として創価学会員の使命をもって生まれてきた。だからむしろ誹謗中傷の苦難を受けるのだ」という日蓮教学に由来する励ましでした。創価学会の宗教的源流である日蓮は、「法華経の行者は正しいが故に迫害を受ける。だから迫害を受けるのは正しさの証明だ」と説きます。以来、創価学会員であることは私の心の支え、誇りとなっていったのでした。

信仰の理想と現実

信仰者としての使命感に幼くして目覚めた私は、「菩薩」として不幸な人がいない世界をこの世に築き上げることが人生の目的であると信じるようになりました。自分のようにコミュニティから排除され、惨めな思いをする人間を私より後には作らない。そういう人生を歩んでいきたいと願っているような、自意識の肥大化した子供でした。

私は努力ができるタイプの人間ではありませんが、幸いにして私の優れた言語能力は私の思考力や知識の裏付けとなり、弁が立ち、成績も(体育を除き)高評価でした。また小学校から中学校まで学年の生徒が変わらない地域であったため、9年間で私も周囲に受け入れられるようになり、「変わっているが優秀なやつ」くらいのポジションにあり、リーダーとして扱われることも増え、幼少期に苦しんだ「居場所のなさ」も緩和されていました。

そうした変化を、私は「信仰の実践の成果」だととらえている側面がありました。「正しい私」が理解されたから、「正しい世界」が現れたのだと信じていました。


創価高校を受験することになった理由の半分以上は、母に勧められたからでしたが、私は、創価学園に行けば「同志」にたくさん出会えると期待していました。私と同じように、良き世界を作るための使命感にあふれた同級生と、新世界の建設について語り合えるものだと思っていました。

創価学園に入学する子女は、一部の例外を除いてほとんどが創価学会の会員です。であればこそ、私は私の居場所を期待したのです。ところが、創価学園のそうした背景事情は、普通のコミュニティよりよっぽど同質性が高いことを意味します。発達障害は、他者と同じようにふるまうことが難しい、端的に言えば空気が読めない障害ですから、私にとっては一層の孤独感を募らせる環境でした。

創価学会員は、自意識としては善良であろうとする者が多いので、直接的に傷つけられたりすることはありませんでしたが、周囲は私をどう扱っていいのか困惑しているようでした。私も、自分のふるまいに対して期待した反応が返ってこず、むしろ遠巻きにされ、時に異常者として扱われることに、裏切られたような思いを覚えるようになりました。そんな私をケアしてくれる大人も創価学園には存在せず、だんだん人の集まりとしての創価学会に不信感を抱くようになります。


創価学会への不信以上に、私は、私自身について自信を失っていきました。「正しい」はずの「創価の世界」で、居場所を感じられないのはむしろ私が間違っているのではないか。私が信じたはずの世界はどこにあるのか。「正しく」努力できない自分が悪いのであれば、創価学会に指導されるとおりに自分自身を変えていかなくてはならないのだろうか。変えられない自分が悪いのか。何を信じて、どうふるまえばいいのか。そうした葛藤は、30歳を過ぎるまで続くことになります。

創価学会のしばき上げ体質

生まれてから30年以上創価学会会員をやっているのでわかることなのですが、創価学会が文字情報として会員に発信する、平和、文化、教育といったどちらかというとリベラルよりの主張、指導とは裏腹に、実際の創価学会の組織運営はいわゆるブラック体質のしばき上げ社会です。かつての創価学会に対する批判報道では、そうしたまるで軍隊のような運動方針が取り上げられることが多かったので、一般の人からすればむしろそちらのイメージの方が強いかもしれませんね。

しかし多くの会員は、創価学会が人間を大切にし、社会に善なるものをもたらす、平和の世界であると信じています。もしかしたらそうした組織の理想を疑わないからこそ、人間に対して粗末な扱いができるのかもしれません。


創価学会では、学生は学生部、40歳くらいまでの社会人は男子部というセグメントに所属することになります。高校生までと違って、18歳ともなれば「戦力」としての活躍を期待され、実際の運動に組み込まれていくことになります。

創価学会の日常における活動は、そこに集まってくる人間への語りかけ、陶冶というよりも、数字の達成です。外部の人間を創価学会の会合に連れてきた数、勧誘に挑戦した数、勧誘に成功した数、機関紙である聖教新聞を購読させた数、そして、選挙における投票依頼の数、実際に投票したか確認した数と、「結果」を出すことが重視され、数字を出そうとしない人間は信仰の確信が足りない「ダメな会員」として扱われます。

そうした勇気がなかなか出せないメンバーには、会合の場で「決意表明」をさせることでさらにプレッシャーをかけることすら行われます。そして、「結果」を出した会員ほど創価学会内のポジションが上昇していきます。ポジションが上がったところで特に実利的報酬があるわけではないのですが、そうした「やりがい」に飢えている若い層にとっては特に組織内で立場が上がっていくことは何よりの報酬となります。

勢い、自分の人間関係を数字に変換することに強いインセンティブが生まれ、外部の友人を人間とも思わないような非常識なふるまいをし、部下にもそれを推奨する幹部が生まれることになります。布教が宗教の生命線であることは理解しますが、さりとてまず人間としてのふるまいを大切にすることを徹底しなければ、仏教本来の在り方からも逸脱することになります。


そんな組織の中にあって、高校時代の私がそうであったように、「信仰の正しさ」とハラスメントじみた「組織の現実」の間で苦しみ、適応障害やうつ病を発症する会員も少なくありません。まじめで、純粋な若者ほど創価学会の中で病気になっていきます。そして、使えない人間への組織からの働きかけは皆無です。

私は、そうした現実について改善するべきではないかと幹部に相談したことがありましたが、「うつ病は本人の性質もあり、一概に組織の責任とは言えない」などと、責任回避の回答が返ってくるばかりでした。私が求めたのは組織の責任追及ではありません。本当に苦しんでいる人間への暖かなまなざしと支援です。でも、私の言葉など、結果を出さない惰弱な人間のたわごとに過ぎないのでしょう。

うすら寒いのは、それでも彼らは人類の平和と幸福のために日々自分の人生を犠牲にして「戦っている」という認識でいることです。


言及しておかなければならないことがあります。私自身もそうしたしばき上げの組織に加担していた責任があるということです。再々言及しているように、私は内向的で浮き気味の人間であったため、たとえば創価学会の会合に友人を誘うようなことはいろんな意味でハードルが高いことでした。しかしハードルが高いからと言ってやらないことは、創価学会の論理からは逃亡とみなされます。私は、そうした私自身の性質を憎むとともに、後輩や自分の組織上の部下にも煽り立てたことが何度もあります。そのために苦しんだ人も多かったでしょう。謝って許されることでもありませんが、私自身に責任があることについてここに書き記します。

私が創価学会の活動をやっていた最終期の私の役職は男子部の支部長でした。支部長となってからは自分の所管するグループが、心穏やかな居場所となるようできる限り努力したつもりですが、力及ばない点も多々あり、忸怩たる思いです。

また創価学会と関係のない場面においても、私は清廉潔白ではありません。私は発達障害傾向に由来する衝動性を持っていて、自己コントロールが困難なところがあります。それがために、たくさんの人を傷つけ、取り返しのつかないことをしてきました。それらのことについて、私は言い訳をする余地がありません。

公明党国会議員の秘書として

私は大学で2年浪人したうえ、さらに2年留年したため、大学卒業時点で27歳となっており就活もしませんでした。せめて箔をつけようとして、イギリスの大学院で平和学の修士号を取得しました。しかし、そもそも普通の就職の役に立つような学位ではなく、英語力も低かった私には相変わらずまともな就職先があるようには思えませんでした。

最終的に、私は公明党の参議院議員である山本博司の公設第二秘書として、創価学会に拾われることになりました。29歳にして初就職です。公明党に拾われるのではなく、創価学会に拾われた、というところが一つのミソではあります。創価高校卒業で早稲田卒、海外の平和学修士号持ちという経歴に、将来的な利用価値があると思われたのでしょう。

この山本博司という男は、国会議員として評価に値しないような無為無策の人物なのですが、彼についてはおいおいブログ内で言及することもあるかと思います。個人的には、山本自身よりも、彼を国会議員として推薦し、放置している創価学会公明党に問題があると考えています。


ともあれ、公明党の内側で見た現実はひどいものでした。現実に組織を運営していくことには、様々な問題が絡むものですから、私は、公明党自体にいろいろな問題があったとしても、内部にいる人間たちは少なくとも自分たちが目指す理想の世界が実現するよう、主体性をもって頑張っていて、むしろそれがために諸問題も起きるのだろうと考えていました。

ところが、現実の公明党関係者は、とても政治を志した人間の集まりとは思えない人たちなのです。与えられた役目を守ることだけに一生懸命で、またそれが「組織の存続を守る」という宗教的正当性を与えられるものですから、やっていることは自己保身なのに本人の意識の中では世界を守る使命感に変換されているのが手に負えません。与えられた枠からはみ出ることを恐れ、上から与えられた指示には疑問も持たず従う。そんな集団に政治はできません。

政治は、現実にある社会的諸問題を、現実を変化させることによって解決しようとする営みです。今そこにある現実を追認するだけでよいのなら、官僚だけに任せておけばよいでしょう。公明党は、平の職員から国会議員に至るまで、サラリーマン的感覚で仕事をしているのです。そこに謙虚さがあればまだよいのですが、なまじっか「政治にかかわっている」という自意識が、彼らを尊大にしています。そして、創価学会の会員は選挙で勝つことにしか興味がないので、公明党を監視する勢力はありません。そのことによって、公明党議員は心穏やかに議席を維持し、創価学会執行部は政権への影響力を保持する。国民の資産をつかった恐るべきもたれあいがそこにはありました。

創価学会と公明党が政治の世界で行っていることは、総じてただの自己利益の追求です。私は、たとえそうした側面があったとしても、公明党が存在することで国と地域がよい方に向かう力となっていればよいと思っていました。ここでいう「良さ」とは、私が30年来創価学会で学んできた、リベラルな理想です。平和で文化的で、すべての個人がそれぞれの幸福を追求できる社会。

公明党創立者の池田大作は、ことあるごとに創価学会の政治参加について、そうした理想社会建設が目的だと発言してきました。創価学会の利益を超えた、全国民にとっての幸福をめざすのが公明党の目標であり、決して創価学会の利益追求のためではない。全国民の幸福を増進することこそが、翻って創価学会会員の利益となる。そうした理想を信じるからこそ、私も政治活動に従事してきたのでした。


そうした私の最後の期待を打ち砕く出来事がありました。2014年7月の、集団的自衛権にかかわる憲法解釈変更の閣議決定です。ここでは、集団的自衛権を認めることの善悪を論じるつもりはありません。しかし、創価学会は戦後一貫して反戦平和を掲げてきました。公明党にしても、当初は自衛隊の解散と日米安保破棄を主張していたほどです。

ところが、この解釈改憲にあたって、公明党は断固とした反対を自民党に対して行いませんでした。それでも、事ここに至っては、自民党単独で解釈変更を行わせるよりも公明党の主張を織り交ぜた方が最悪を回避できるという判断にも正当性があると言えるかもしれません。

しかし、現公明党副代表の石田祝稔は、当時香川県の地方議員を集めた会合で開口一番に、「これ以上反対してもね、自民党と気まずくなるだけなんですよ」と笑顔で言い放ちました。そこには、支持者を走らせ、票を集めさせてきた党是を曲げたことに対する忸怩たる思いは微塵もありませんでした。「そんな一銭にもならない理想よりも、創価学会に多大な利益をもたらす自民党との連立維持の方が大切でしょ? 支援者にはうまく説明してね」という地方議員への目配せだけがありました。

戦争と平和の問題は、まかり間違っても政治家が気楽に扱ってはならない問題のはずです。国のかじ取り次第で、何万人もの人が傷つき、殺されかねないのです。自民党が軍備増強によって平和を守るというのならそれはそれで一つの主張でしょう。しかし、しかし、私たちは、今までそういう主張はしてこなかったはずです。

そして石田に限らず、解釈改憲成立後の公明党の発信は、許しがたい欺瞞に満ちたものでした。曰く、国民の命を守ることも憲法の重要な要請である。曰く、集団的自衛権による抑止力が、むしろ平和を増進する、曰く、公明党の主張が入った新解釈は、むしろ今までの平和活動の結晶である。いずれも、とんでもない詭弁です。私たちは、信頼に基づいた国際関係を構築することで、武器を向け合うのではない、戦争の準備をする必要のない平和をつくりだし、それをもって国民の利益を守ることを主張してきたはずです。

であるならば、解釈改憲にあたって公明党がとるべき言動は二つに一つです。かつての平和主義をあきらめ、現実的路線にのっとって軍備拡大に方向性を変えた、と表明するか、平和主義の完遂を目指していたが、力及ばずこのような結果になったと支持者に謝るか。これ以外に政治的に誠実な選択肢はないはずです。


現実に公明党がとった姿勢は、考えられる限り最悪でした。言葉の意味をなくしてしまったのです。現実に彼らが何をしようが、それっぽいふわふわした説明を行うことで反論を封じ、それでも疑問を持つ者は反対派として排除していく。現実に進行している事実と、彼らの発する言葉にはもはや関連性がありません。もう、創価学会公明党に、この現実世界で理想を実現しようとする意志も気概も何一つないのです。実現するべき正義のない政治は、ただの利権です。

組織の内部ではきれいな理想を語りながら、ひとり一人の会員を数字として数えることしかせず、日本国民の命を預かる安保政策において、自らの利益を優先した安直な方針転換に応じ、自己正当化する説明しかしない、あるいは説明すらしない。これはいったい何なのですか?

宗教者にとっても政治家にとっても、言葉はこれ以上ない大切なものです。こんなにも言葉を軽々しく扱い、人の信頼をないがしろにする集団を宗教団体や政党と呼ぶことはできません。ただの利益追求団体です。ひとり一人の会員の性質は善良かもしれません。しかし、善良が集まってこのような欺瞞を行うのであれば、私はもうついていくことはできません。

それから1年後、山本は「創価学会の幹部がお前をやめさせろと言っている」と私に告げ、私は山本の公設第二秘書を辞することになりました。山本は、最後まで自分の意思のない男でした。そして、私はまたもや、異常者として排除されたのです。

これからの私

創価学会という人間の集団に対しては、私は愛憎半ばする状態にあります。幼き日の心の支えになってくれたことは確かですし、そこで知り合った人たちが嫌いなわけではありません。むしろ、一部を除けば愛すべき人たちだと思っています。しかし、愛すべき人たちがそこにいるからこそ、彼らの信仰心を創価学会というムラ社会の利益追求のために利用されている現状に加担する気にはなれません。

「利用されている」と述べましたが、いったい誰が「利用している」のかと質問される方もいるかもしれません。私が思うに、その正体は全体主義という魔物です。誰もが自分はただ一生懸命に組織に貢献したい、仲間を守りたい、そう思い、しかし誰もこの組織が全体として為すことに責任を持とうとしない。その状況が、結果として組織内のもたれあい、「同志」ならざる他者への憎悪、不正義への寛容を生むのです。そしてその帰結が、自組織の維持存続のみを願い、普遍的正義の追求を見失った創価学会公明党の現状なのです。


幼き日の私の誓いは、この世界に居場所なく、自分を否定するしかない人たちがいない世の中を築くことでした。今私がここでやろうとすることは、「おかしいな?」と思いながら「おかしいなと思う自分が間違っているのかな」と自分の良心を傷つけられている人たちにメッセージを送ることです。

私は大学で西洋哲学と現代思想をかじりました。浅学のため、とてもその道を究めたとは言えませんが、学んでわかったことは、釈迦や日蓮、創価学会初代会長の牧口常三郎が少なくともその当初めざしたことは、この世界と人間についての科学的で普遍的な理屈と説明を追求し、一人ひとりの人間がそれぞれの幸福を人生で追及するための杖となることだったということです。

釈迦は、「私の教えは仮の杖に過ぎない。独り立ちしたならば、捨てられるべきだ」と述べました。それは、アリストテレスがソクラテスを否定しながら哲学を発展させたように、ともに議論に参加し、「普遍性」を目指す姿勢を受け継ぎながらも、先人を自らの力で越えていく「開かれたテーブル」を指し示す言葉です。池田大作の名で発表された文章の多くも、そうした哲学性、科学性を標榜しています。

創価学会内には、そうした思想性を追求するグループと、現実世界における権勢拡大を追求するグループのせめぎあいが歴史的にあったのではないかと考えています。現状は、あまりに後者に偏っていて、宗教者に最も必要な良心を失いつつあります。そうした「時流」に逆らい、「こちら」にも道があることを指し示すことが、私にできることだと思っています。また私は、そうしたことを考えることが好きなのです。