The postmodern has come.

与那覇潤『平成史—昨日の世界のすべて』

「大人」になれなかった平成の論壇

本書は、いわゆる歴史書のイメージに収まる本ではない。平成の時代の政治史、世相史を縦糸に、ついに昭和の課題を正面から超えることができなかった「論壇」の右往左往をやや冷笑的に描写していく。

数々登場する論者のなかでも、著者が最も好意的に描くのが加藤典洋である。加藤は、出世作である『敗戦後論』において、親米保守と反米革新に分裂して対話不可能となった日本の言論、政治空間を再統一するための方途を探る。戦争で不条理な死を強いられた日本人たちの死に、思想的願望を仮託して語るのではなく、無意味な死はまさに無意味であったのだ、とありのままに弔うことから出発するべきだ、というのが加藤の主張だ。

先の戦争を自ら総括できなかったことが、日本人をして無限の自己言及の蛸壺から脱出できない、幼稚で内向きな精神性を形成させてしまった。来たるべき平成には、日本は大人の国家社会として成熟していってほしい。と、時代の入り口において、著者は希望を抱いていたのだと思う。

しかし著者は、いつまで立っても成熟しないどころか、もはや「大人になる」ことの意義すら見失っていく平成の世相に失望していく。深い精神性や洞察に根ざしているとはとても思えない安倍総理の振る舞いや政治理念、また原理的護憲運動に見られる妥協なき絶対的正義の態度、左右を問わず幼稚性こそがむしろ力を得ていく時代に、著者は嘆息を隠さない。

「大人」になるということ

しかし、ではいかなるありかたが「大人」の日本社会としてありえたのか、著者はなかなか自らの立ち位置を語らない。もし本書が辞書的な意味での平成通史を描いたものであれば、著者の主張が見えないことをもって片手落ちを感じることはなかっただろう。

だが、前述の通り、著者は平成をふりかえりながら、右に呆れ、左に失望し、さながら一時期流行ったデタッチメント型の「やれやれ系主人公」のようだ。スノッブな自己憐憫あふれる筆致もあって、私は途中まで幾分の苛立ちを抱えながら読みすすめていた。

ところが、本書の終盤になって現れる段落にこうある。

日本は、世界にこう提言することができなかった。私にとっての平成の挫折は、その一事に尽きています。

そして引用される著者自身の過去の言葉がこうだ。

(日本国憲法は、米中をつなぐ役割を果たすための武器に)なると思います。国内で九条を守れというだけでは江戸時代型の護憲論ですが、それを国際条約にしてもいい。憲法9条を専守防衛協定化して、アメリカや中国にも調印させる。

一見左翼的に見える同種の主張は、本書では全く全面には現れていない。著者が、左右の両ウィングから、恣意的に切り取られることを警戒しているのだろう。しかし、まさに「これ」をできる国家にならなかったことが、筆者にとって「日本の歴史 」の挫折なのだ。

日本の歴史の果てに、兎にも角にも一つの現実化された価値観として獲得された日本の平和主義。それは、与えられたものだろうと自ら生み出したものだろうと、世界史に対して日本史が提出することできる、普遍性を強く潜在していた。なのに日本は、あるべき国の姿の議論を、不毛なイデオロギー闘争の中で消費してしまった。

右派は日本的なるものから切り離すべき恥ずべき汚点として語り、左派はいじましく自分たちを守るために引きこもるべき砦としてしか利用しない。そしてその狭間には私的空間にしかもはや興味のない膨大な無関心層が横たわる。

私達は、「ぼくはね! ぼくはね!」と一生懸命喋り続ける子供時代から、ついに脱却することはできなかった。いつまでも自我を覗き続けて、躁鬱病を発症した精神病患者のようになってしまった。

隙あれば自分がたり

私は、著者の失望に深く共感するところがある。学部生時代、私は加藤典洋のゼミに所属していた。しかし創価学会の熱心な信者だった私は、ゼミ長のポジションにありながら、ゼミ生に公明党への投票依頼活動を行ったことで、加藤から「不良学生」との評価を与えられ、破門処分となった。

その後、英国で平和学修士課程をなにはともあれ修めた私は、就活から逃げた結果、公明党の議員秘書になるほかなかった。皮肉なことに、まさに私が加藤からの「破門」をかけて献身した自公政権が、憲法の平和主義を投げ捨てる決定を行ったその現場に居合わせたために、私も自身の信仰と政治の立場に挫折することになったのである。

日本は、戦争放棄、国連集団安保への信頼を掲げていればこそ、世界に対して軍縮、和平のためのイニシアティヴをとるための説得力を持ち得た。しかし、まだ見ぬ平和主義の実現よりも、所与のものとしての「世界の現実」に自らを順応させることが「大人の態度」だと自公政権は日和ってしまった。それは、オトナに憧れるワナビーとしての子供そのものの態度だった。

そしてかたや「リベラル派」に目を向けても、なぜ九条を守らないといけないかというと、九条が神聖だからだ、式の信仰から逃れられない。結果として、安寧と保護のうちにとどまろうとする赤ん坊の精神性から一歩も外に出られない。

もはや日本は、創出させるべき価値観としての平和主義も、混迷する世界を立て直そうとする国家意思も語ることは不可能だ。私の話をすれば、創価学会=公明党というコングロマリットについても同じことが言える。

平成のその先

目指すべき世界のあり方として、現実的な一歩一歩を世界に開かれた日本が語り、リードして歩んでいく。そうした「大人」の日本史の可能性は永遠に失われた。私の絶望も、そこにあった。

「あり得た日本史」の世界線であれば、数々の戦役が防げたかもしれない。それどころか、正反対にますます「だから僕はこうしなくちゃいけない!」と、対話可能性のない信念を叩きつけあっているのが現実の日本だ。

社会思想論壇の力学を語ることが、現実を生きる国民一人ひとりの生活を駆動させる力学とどれほどの接続性があるのか、強い疑問がある点で、筆者が本書の内容を持って「平成史」を名乗ることへの傲慢さは指摘せざるを得ない。しかし、一人の学者として、この社会と世界に対する責任を果たそうとし、挫折した著者に未だ垣間見える信念には心から敬意を表したい。そして私もまた、挫折を乗り越えて、世界に良きものを残す責任を果たしていきたいと思う。