The postmodern has come.

公明党の議員秘書だった頃 第2 障碍者団体のことを、「わけのわからない人たち」と公明党議員は言った

得体のしれない市民とは会いたくない

2013年の暮れから3年間、私が公設第二秘書として仕えた、山本博司公明党参議院議員。彼は、娘が重度知的障碍者ということもあり、障碍者政策の担当として党内で位置づけられています。しかし当の本人は、経営者や権力者に会うときは大変うれしそうなのですが、草の根的な、政治力や経済力のない人や団体と会うときは大概あまりいい顔をしませんでした。今回はそんなエピソードです。

障碍者団体の大会に呼ばれた山本

その年、愛媛県松山市で、ある障碍者団体の全国大会が開かれました。その大会は団体の方々の交流会も兼ねており、ホテルに泊まり込みで複数日にわたって開催される習わしでした。障碍者政策に詳しい地元政治家ということで、山本も来賓として招待をいただいたのです。

事前の打ち合わせで、団体の方から「山本先生のお部屋も取らせていただくことができますが、いかがですか?」とお誘いをいただきました(もちろん宿泊費はこちら持ちです)。私は、山本は障碍者政策を看板にしているし、アピールをする意味でも、今後の支援を取り付ける意味でも、団体の皆様と深く交流させていただいたほうがいいだろうと判断し、同じホテルに山本と私の部屋も取っていただきました。それに、私も山本も、国民の税金で生活させていただいている身ですから、たとえ山本が嫌がっても、求めてくれる人のためにサービスするのが秘書の務めだと今でも思います。

ところが当日、私の車に乗り込んできた山本に、「今夜は団体の方と同じホテルに宿泊になります」と伝えたところ、山本は「どうしてそういうことをするんだ! そんなわけのわからない人たちとずっと一緒にいられるか!」と激昂したのです。私は当時すでに山本の性格はわかっていましたから、いちいち驚きはせず、あきれるばかりでした。

さて、いざ一泊して大会が終了すると、その大会の責任者の方が大変うれしそうな様子で我々の方にやってきます。そしてこうおっしゃるのです。「今までいろんな政治家に来ていただいたけれども、山本先生のように一緒に夜まで酒を飲みかわし、肩を組んで我々と話をしてくださった方はいなかった。感動いたしました。本当にありがとうございました」。

帰路、車の中では山本が機嫌よさそうにしていました。「来年もまた出席しないとだな」などとあっけらかんと私に言うのです。もうあまりの単純さに噴き出すところでしたが、何とかこらえました。

公明党国会議員の浅薄な人間観

さて、結果としてみんな喜んで終わったのだから、一見ほんわかエピソードのようになってしまいましたが、看過できないのは「わけのわからない人たち」という山本の言葉です。ここには、いろんな文脈がありますが、まず一つは「創価学会の関係者でない」ということです。そして、「社会的に影響力をあまり持たないマイノリティである」ということ、そして最後に、「障碍者の集まりであること」という含みがあるように私には思われます。

山本は、とにかく失点を嫌う性格で、言われたことを一生懸命やろう、とする反面、余計なことをして偉い人に怒られなくない、という傾向の強い男でした。なので、あまり有名でない、つきあっても党のコマーシャルに使えないような団体とは関わりたがりませんでした。そして、自分が人と比べて劣っていると思われることを恐れているようでした。

それであるから、あまりメジャーでない、一障害分野の団体に、来賓あいさつ以上のコミットをすることを嫌がっていたのだと思われます。しかし公明党は、草の根市民政党を標榜しており、「小さな声」を拾い集めることを旨としているはずです。戦略的に見ても、メジャーな団体や企業は基本的に自民党が抑えており、そこにいくら公明党議員がアプローチをかけたところで党の独自基盤にはなりません。この団体のような、今現在力のない無名の人たちこそ政治のブルーオーシャンであり、公明党が自立していく戦略となりうるはずです。

しかしまあ、一事が万事こういう調子ですから、私にはもう言葉がありません。この記事は以上です。